今、2000年12月のニューヨークタイムズ紙を読み返すと、現在とはずいぶん趣きの異なるヘッドラインを目にすることでしょう。当時、2000年最後の会計四半期において、マイクロソフトは64億米ドル(約6300億円)の収益を上げると予測されていましたが、永遠のライバルであるアップルについては、かろうじて10億米ドル(約984億円)に達するだろうと...。感慨深いものがありますね。米国のNew York Timesが上昇アップルと下降マイクロソフトの今と昔を比較しています。
スティーブ・ジョブズは当時、「自慢にはならないね」と述べました。アップルはその四半期、売上目標にすら達していませんでした。
その同じ年、最初のセールスマネージャーとしてマイクロソフトに入社したスティーブ・バルマー氏が、共同創立者だったビル・ゲイツの辞任にともない、同社CEOとなりました。
その規模と権力の大きさ、その積極果敢な姿勢によって、米司法省との間で独占禁止法訴訟の長い戦いが続いたマイクロソフトは、「悪の帝国(The Evil Empire)」などと呼ばれることもありました。バルマー氏は、そんな企業を牽引してきました。
そして現在、マイクロソフトは、ちょっと「自慢にはならない」時期を迎えつつあるようです。
57歳のバルマー氏は23日、あと12か月以内に退任すると発表しました。
マイクロソフトは13年間、バルマー氏のリーダーシップの下、PC中心の企業からモバイル中心の企業に変化しようともがいてきました。同氏率いるマイクロソフトが新製品のカテゴリーを生み出そうとする努力を見ていると、それはまるで、両足の靴紐を結んだままマラソンを走ろうとする人を見るかのようでした。走っても走っても、こけてばかり。
ニューヨーカー誌編集者のニコラス・トンプソン氏は、「バルマーは、反スティーブ・ジョブズを信条としてきたが、バルマーはハイテクの主要なトレンドをことごとく外してきた。彼のイノベーションは、人々には理解不能だった」と書いています。
対照的にアップルは、かつては瀕死の状態とも言われましたが、その時価総額は2000年12月の48億米ドル(約4724億円)から、今日は4550億米ドル(約4兆4785億円)にまで膨れ上がっています。
確かにアップルも過去13年間を振り返れば、いくつかの挫折がありました。Power Mac G4 Cube、Apple TVの最初のもの、マップアプリなどは大失敗でした。
しかしマイクロソフトは、顧客と企業さえもがスマートフォンとタブレットにシフトしていくにつれて、ほとんどなす術がないかのようです。アップルがデザインのシンプルさの大切さを広めていった後も、マイクロソフトは90年代の栄光を引きずりながら、分かりにくくマニア向けのデザインに留まり続けました。
マイクロソフト内部には、何年もの間、変化しようとする動きがありました。シンプルさよりも複雑多彩な特徴をよしとする定評を払拭しようとする動きがありました。しかしそれは悪戦苦闘の道のりとなりました...。マイクロソフトの株価は下がり続けました。
バルマー氏の下、マイクロソフトは、いくつか美しい製品を作ることもできました。例えば、Xbox、Windows Phone 7はじつに直感的で顧客受けも良く、巧みなマーケティングが展開されました。しかしマイクロソフトはどうしても、そのDNAを変えることができませんでした。初心な顧客向けよりも、専門知識を備えるハイテクの得意な顧客向けの製品を作り続けました。
投資家らは明らかに、バルマー氏の選択眼を苦々しく感じていました。ヘッジファンドのマネージャーであるデビッド・アインホーン氏は2011年、「マイクロソフトは過去に囚われている」として、バルマー氏に退任するよう勧告。当時、アインホーン氏は、マイクロソフトによる「sinkhole(流し台の穴)」という検索エンジンの開発を強く非難しました。
それがマイクロソフト唯一の「流し台の穴」だったわけではありません。マイクロソフトは7月、Surface RTタブレットの売れ残り在庫を反映させるため、9億米ドル(約885億円)の帳簿価格の切り下げを発表。Surfaceタブレットは販売の8か月間で、150~170万台売れたと推定されています。
一方アップルのiPadは、11月の販売開始後わずか3日間で、300万台が売れました。
これが、アップルとマイクロソフトの今と昔です。